東京地方裁判所 昭和57年(ワ)5798号 判決 1988年11月14日
原告 学校法人明治大学
右代表者理事長 松本留義
右訴訟代理人弁護士 芳賀繁蔵
同 荒井秀夫
同 海地清幸
同 辻亮
被告 古賀タマ
<ほか五名>
右六名訴訟代理人弁護士 金子文六
同 小山田純一
主文
一 被告千代田印刷機製造株式会社は、原告に対し、原告から金八億円の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明け渡し、かつ右金員提供の日の翌日から明渡済みまで一か月金一四万〇五八〇円の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告千代田印刷機製造株式会社に生じた費用を被告千代田印刷機製造株式会社の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告古賀タマ、同古賀健一郎、同柿沢みつる、同田中たみ子及び同小野誠子に生じた費用を原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 (主位的)
(一) 被告千代田印刷機製造株式会社は、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明け渡せ。
(二) 被告古賀タマ、同古賀健一郎、同柿沢みつる、同田中たみ子及び同小野誠子は、各自原告に対し、別紙物件目録(一)記載の土地を明渡し、かつ昭和五七年二月三日から右土地明渡済みまで一か月金一四万〇五八〇円の割合による金員を支払え。
2 (予備的)
被告千代田印刷機製造株式会社は、原告に対し、原告から金三億円又は裁判所の決定する金員の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ昭和五七年一二月一四日から明渡済みまで一か月金一四万〇五八〇円の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (原告の土地所有)
原告は、昭和二六年四月一日、訴外三輪竹次郎(以下「訴外三輪」という。)から、別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)を含む千代田区猿楽町一丁目(当時千代田区神田猿楽町一丁目)四番一所在の宅地二二六五・〇九平方メートル(六八五・一九坪)を買い受け、同年五月九日所有権移転登記を了して本件土地の所有者となった。
(以下2ないし5は訴外古賀和佐雄の相続人に対する請求原因)
2 (賃貸借の成立)
右売買の当時、本件土地は訴外古賀和佐雄(以下「訴外和佐雄」という。)が占有していたところ、原告は同年、東京簡易裁判所に本件土地の明渡しを求める調停を申立て(昭和二六年(ユ)第四〇一号)、昭和二七年一二月一三日、大要次の内容の調停が成立した(以下、右調停を「本件調停」といい、右調停において成立した賃貸借を「本件賃貸借」という。)。
(一) 原告は訴外和佐雄に対し本件土地を現状のまま堅固な建物所有の目的で賃貸する。
(二) 賃料は一坪当たり一か月金二〇円とする。
(三) 賃貸借期間は、昭和二七年一二月一三日から満三〇年とする。
(四) 訴外和佐雄が原告の文書による承諾を得ないで借地権を他人に譲渡し、又は土地を転貸したときは、原告は通知催告を要せず本件賃貸借を解除することができる。
3 (訴外和佐雄の死亡と賃借人の地位の移転)
訴外和佐雄は、本件土地上に別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有していたが、昭和五四年八月五日死亡し、その妻である被告古賀タマ、その子である被告古賀健一郎、同柿沢みつる、同田中たみ子及び同小野誠子(以下、右五名を「被告古賀タマら五名」といい、被告古賀健一郎を「被告健一郎」という。)が、本件建物の所有権を取得し、本件土地の賃借人たる地位を承継した。
4 (譲渡ないし転貸を理由とする解除)
(一) 被告古賀タマら五名は、昭和五五年二月二一日、本件建物の所有権を本件土地賃借権と共に被告千代田印刷機製造株式会社(以下「被告会社」という。)に譲渡し、又は本件土地を転貸して、使用収益させた。
(二) よって、原告は、被告古賀タマ、同健一郎、同柿沢みつる、同田中たみ子に対し昭和五七年一月二七日到達の書面をもって、被告小野誠子に対し同年二月二日到達の書面をもって、前記2(四)の調停条項に基づき賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
5 (期間満了―正当事由に基づく明渡し)
仮に右の賃借権譲渡ないし転貸による解除が認められないとしても、本件賃貸借の期間は昭和五七年一二月一三日をもって満了したものであるところ、原告は、被告古賀タマら五名に対し、昭和五七年一一月一日の本訴訟の第四回口頭弁論期日において、右期間満了後に被告古賀タマら五名が本件土地の使用を継続することについて、あらかじめ借地法四条一項ないし六条一項所定の異議を述べ、その後も引き続きこれを維持している。右異議に関しては次のとおり正当の事由があるから、本件賃貸借は前記期間の満了に伴い終了した。
(一) 原告の本件土地を使用する必要性
原告は、法学部、商学部、政治経済学部、文学部、経営学部、工学部、農学部の七学部から成る大学及び短期大学(以下、右を総称して「原告大学」という。)を設置している学校教育法、私立学校法に基づく学校法人であるが、以下に述べるように、本件土地を是非とも必要としている。
(1) 戦後、わが国の高度経済成長と相まって大学教育の国家的重要性が高まり、昭和三〇年に比較し、昭和五九年には大学・短期大学の入学者は三・五倍となっており、原告大学においても入学志願者は三・四倍の状況にあるが、入学者はほぼ同数に近い状況で、合格率は平均一〇倍となっている。これは以下に述べる中心校地面積の不足のため、実人員増ができないためである。
(2) 大学が必要とし、保有しなければならない設置基準上の校舎(必要校舎という。)の面積は、大学設置基準附則により学則上の定員に対する一定の倍率に基づき算出される。同様に、校地(必要校地という。)の面積は、大学設置基準内規により、右必要校舎面積の六倍となるが、特定の大都市に関しては三〇パーセント控除の緩和措置の特例がある。また、校舎敷地と運動場が分かれている場合には校舎敷地に基準面積の二分の一以上がなければならないと定められているが、この校舎面積のことを「中心校地」と呼び、設置基準上要求される中心校地を「必要中心校地」と呼んでいる。
原告大学の東京都千代田区神田駿河台地区(以下「駿河台地区」という。)における中心校地面積は極めて不足しており、右基準の必要中心校地の原則による九万六六七〇平方メートル、緩和措地適用による七万二八四五平方メートルに対して、二万五二一〇平方メートルであり、その充足率は約三四・六パーセントにすぎない。そのため、運用面においては、駿河台地区と他の地区の各中心校地とを合算し、各地区の学生の学則上の定員に必要な校地面積を算出することにより辛うじてその最低基準に達している。
(3) 原告は昭和五七年及び昭和五九年に学則上の定員の変更(増加)の許可申請をしたが、前記の認知された形での校地計算方法でも、なお必要中心校地の不十分を理由に文部省当局の内諾が得られず、当初の計画を大幅に減じて変更申請をせざるを得なかった(なお、学則に定めた収容人員を超える数の学生を入学させた場合には、私立学校振興助成法に基づく私立学校への補助金は必然的に削減される。)。
また、原告は昭和五七年一二月一三日現在、校舎不足のため、別表のとおり近隣のビルの一部を賃借しており、このため敷金、保証金等約七〇〇〇万円を固定させ、賃料及び管理費として毎月二七八万二〇〇〇円余を支払っており、赤字に悩む原告にとって大きな負担となっている。
(4) 現在の大学教育では、各種ゼミナール、クラブ活動、趣味同好会が教育の一環として重視されており、原告大学においても質量共に著しく強化され、活発に行われている。ところが、原告大学の駿河台地区においては、教室不足のためにそれらの需要のすべてを満たすことができなかったり、自動車の通行量が多く、交通事故発生の危険度の高い公道上を通って他の学部棟の教室へ移動しなければならないのが現状である。このような移動は休憩時間をそれだけ短縮させ、教員や学生の疲労を増し、教育活動の円滑な管理運営上にも問題を生じている。
また、法学部の附属施設である法制研究指導室の移動、法学部資料室の拡充の必要がある。
(5) 地価の高騰及び周辺地区の高層化、過密化により、駿河台地区での校地の取得は、もはや不可能視される状況にあり、原告にとって、右のような駿河台地区の深刻な校舎不足をいくらかでも改善するため、社会的需要に応える定員増のため、また補助金獲得のため、本件土地(四六四・七六平方メートル)の必要性は極めて大きいものである。
原告が本件土地の明渡しを受けたとき、同地に建築する建物は既に計画ができ上がっており、これらにより、法学部棟として七〇ないし八〇パーセントの充足が図られることになる。
(6) 原告は学校法人法に基づく学校法人であり、高等教育という国家的事業の一端を担う高度の公共性を有する。その大学が社会的役割を果たすため必要とする場合、高度の公共性の故に土地収用法三条二一号に規定する事業者としてその法規の適用を受けることもできるのである。
(二) 被告古賀タマら五名は、本件土地を使用する必要性がない。
(三) 訴外和佐雄の無断建築
原告は、訴外和佐雄に対し、昭和四六年一一月九日到達の書面をもって、同人が同年一月頃無断建築した違反行為につき、賃貸借期限が昭和五七年一二月一三日であることを考慮して問題提起を保留するが、学校用地不足に悩んでいるので満了時には明渡しを求める旨通告しており、突然の明渡し要求をしているものではない。
6 本件土地の昭和五七年二月三日以降の賃料相当額は、一か月一四万〇五八〇円である。
(以下7ないし9は被告会社に対する請求原因)
7 被告会社は本件建物を所有して本件土地を占有している。
8 仮に、本件賃貸借の適法な賃借人が被告会社であると認められるとしても、本件賃貸借の期間は昭和五七年一二月一三日をもって満了したものであるところ、原告は、被告会社に対し、昭和五七年一一月一日の本訴訟の第四回口頭弁論期日において、右期間満了後に被告会社が本件土地の使用を継続することについて、あらかじめ借地法四条一項ないし六条一項所定の異議を述べ、その後も引続きこれを維持している。右異議に関しては次のとおり正当の事由があるから、本件賃貸借は前記期間の満了に伴い終了した。
(一) 請求原因5(一)記載のとおり、原告は本件土地を必要としている。
(二) 被告会社は、以下のとおり本件土地を明渡すことに支障がない。
(1) 本件建物の主要部分は一応堅固な建物であるが、第二次大戦前に建築された古い建物で既に相当程度老朽化しており、現代的使用に適しない。被告会社においても既に営業の中心を後記(2)の建物に移し、本件建物を重要視した使い方をしていない。
(2) 被告会社は、本件土地の道路に面した向かい側に次の土地・建物を所有して本社事務所を置いている。
(a) 千代田区猿楽町一丁目五番五
宅地 三六三・六三平方メートル
(b) 右同所所在
家屋番号 五番五の一
鉄筋コンクリート造陸屋根四階建
事務所・工場
床面積 一階 一五八・四九平方メートル
二階 一六五・三七平方メートル
三階 一六五・三七平方メートル
四階 一六五・三七平方メートル
(以下、右建物を「本社ビル」という。)
(c) 右同所五番地二、五番地五所在
家屋番号 五番二の一
軽量鉄骨亜鉛メッキ鋼鈑葺平屋建
倉庫
床面積 一〇一・七四平方メートル
(3) 右土地に接続して、更地であり月極駐車場として使用している次の広い土地を所有している。
千代田区猿楽町一丁目五番二
宅地 一〇九四・三四平方メートル
(4) 更に、近くに次の土地・建物を所有している。
(a) 千代田区神田神保町一丁目六二番五
宅地 九二・九五平方メートル
(b) 右同所六二番一所在
家屋番号 六二番二〇
木造原型スレート葺二階建居宅
床面積 一階 七五・五七平方メートル
二階 五九・五〇平方メートル
(5) また、東京都昭島市(敷地約一三七〇平方メートル、建物約一六三〇平方メートル)、佐賀県小城郡牛津町(敷地約一万平方メートル、建物約三〇〇〇平方メートル)等にも、被告会社又は関連会社所有の不動産が存在する。
(三) 仮に、上述の事情によっては未だ本件異議についての正当事由が具備されていないとしても、原告は、右正当事由の補完として、被告会社に対し、昭和五九年一〇月二二日の本訴訟の第一五回口頭弁論期日において立退料として金三億円又は裁判所の決定する額の金員支払う旨申し出た。
9 本件土地の昭和五七年一二月一四日以降の賃料相当額は、一か月一四万〇五八〇円である。
10 よって、原告は、被告古賀タマら五名に対し、賃貸借契約終了に基づき、本件土地を明渡し、かつ、右4の解除の意思表示の翌日である昭和五七年二月三日から明渡済みまで一か月一四万〇五八〇円の割合による賃料相当損害金(ただし、右4の主張が認められない場合には昭和五七年一二月一三日までは賃料)を支払うよう求め、被告会社に対し、主位的請求として、所有権に基づき、本件建物を収去して本件土地を明渡すよう求め、予備的請求として、賃貸借契約満了に基づき、原告が被告会社に対し三億円又は裁判所の決定する金員の支払うのと引換えに本件建物を収去して本件土地を明渡し、かつ、賃貸借契約終了の後である昭和五七年一二月一四日から右明渡済みまで一か月一四万〇五八〇円の割合による賃料相当損害金を支払うよう求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1は認める。
2 同2は認める。ただし、訴外三輪及び原告からの契約上の借主は訴外和佐雄であったが、本件土地を実質的に占有していたのは被告会社であり、このことは訴外三輪及び原告も知っていた。
3 同3のうち、訴外和佐雄が原告主張の日に死亡したこと、被告古賀タマが同人の妻であり、被告健一郎、同柿澤みつる、同田中たみ子、同小野誠子が同人の子であることは認めるが、その余は否認する。
4 同4のうち、(一)は否認し、(二)は認める。
5 同5の冒頭の主張については、正当事由の存在及び本件賃貸借の終了は争い、その余は認める。
(一) 同(一)は争う。
(二) 同(三)は増改築の事実は認めるが、その余は争う。本件契約においては、将来の増改築は予定されていたもである。
6 同6及び7は認める。
7 同8の冒頭の主張については、正当事由の存在及び本件賃貸借の終了は争い、その余は認める。
(一) (一)は争う。
(二) (二)の冒頭の主張は否認する。
同(1)は、本件建物の主要部分が堅固建物であること及び第二次大戦前に建築された建物であることは認めるが、その余の事実は否認する。
同(2)は認める。
同(3)は、被告会社が原告主張の土地を所有していることは認めるが、同土地は同(2)(c)の建物及び同所五番地所在、軽量鉄骨コンクリート平屋建工場(床面積七三・四四平方メートル)の敷地の一部となっているほか、被告会社が自家用駐車場として使用している部分もあり、月極駐車場として使用している面積は約七五〇平方メートルである。なお、被告会社は自己使用の必要性があるため、逐次右月極駐車場の明渡しを求めている。
同(4)は認める。
同(5)のうち、被告会社が東京都昭島市に原告主張の土地及び建物を所有していることは認めるが、佐賀県小城郡牛島町に所有する土地は約八〇〇〇平方メートルであり、建物は約一四八〇平方メートルである。
(三) 同(三)は争う。
更新拒絶に基づく正当事由は契約期間満了後に存在しなければならないから、これを補強するための金銭の提供も期間満了後遅滞なく行わなければならないところ、本件土地賃貸借契約の期間は昭和五七年一二月一三日満了しており、本件金銭の提供は右期間満了後二年近く経過した後にされたものであり、正当事由の補強とはなり得ない。
また、本件土地近辺の土地価額は、一坪あたり二五〇〇万円とも三〇〇〇万円とも言われており、本件土地の借地権の価額は堅固建物所有を目的とするものであるから、更地時価の九〇パーセントとみるべきである。
三 被告らの主張
1 賃借権無断譲渡を理由とする解除に対する主張
(一) (本件建物の所有関係及び本件土地の借主について)
本件建物は、被告会社で使用するため、被告会社が昭和一九年一二月一八日、その資金で訴外三輪竹次郎から買い受け、本件土地を賃借したものである。したがって本件建物は本来被告会社の名義に登記すべきであったが、被告会社が訴外和佐雄の個人会社で両者は事実上同一体のものであったため、訴外和佐雄はごく簡単な気持から自己名義に間違って所有権の取得登記をしてしまった。本件土地の賃借人も当然に被告会社であったところ、右のように本件建物の登記名義を間違って訴外和佐雄としてしまったことから、外形上同人ということになり、原告との賃貸借関係にもそのまま引き継がれたのである。
被告会社が訴外和佐雄または同人とその妻子を含めた古賀家の個人会社であること及び本件建物の所有権が当初から被告会社に帰属し本件土地の実質的借主が被告会社であることは、原告も熟知していたところである。
(二) (原告の承諾・追認)
仮に当初からの本件土地の賃借人が訴外和佐雄であって、被告会社であるとは認められないとしても、右賃貸借契約は形式上訴外和佐雄の個人名義となっていたにすぎず、実質上は同人が被告会社を代理して、被告会社のために行ったものであり、原告は当初からこれを承認していたか、又は後にこれを追認した。このことは次の事情から明白である。
(1) 本件土地は原告の大学本部と至近距離にあり、本件土地に隣接して原告の大学校舎もあるため、原告は本件土地を買い受けた当初から、被告会社の本件土地及び本件建物の利用状況並びに訴外和佐雄と被告会社の関係を熟知していた。
(2) 原告は本件賃貸借の当初から三〇年の長きにわたって、被告会社が支払った賃料を受領し、被告会社宛にその領収証を発行していた。
(3) 原告は被告会社に対し、書面で賃料の増額請求及び支払請求をしている。
(三) (背信性を認めるに足らない特段の事情の存在)
仮に、右(二)の主張が認められないとしても、以下に述べるような事情の存する本件では、被告会社に対する本件賃借権の譲渡は、原告に対する賃貸借契約上の信頼関係を破壊するものではないから、原告は右賃借権譲渡を理由として本件賃貸借契約を解除することはできない。
(1) 被告会社は訴外和佐雄又は同人とその妻子を含む古賀家の個人会社であり、同人が長年にわたって社長及び会長としてその代表取締役をしており、昭和四八年二月以降は被告健一郎も代表取締役をしている。
(2) 本件賃借権の譲渡につき対価等の授受は全くない。
(3) 本件賃借権の譲渡の前後を通じ、被告会社が本件土地の賃料を支払い、かつ本件土地及び本件建物の利用、維持及び管理をしており、賃料の支払者及び支払方法並びに本件土地の利用方法には全く変更がなく、右賃借権譲渡が原告の不利益となる事情は全くない。
(4) 右のような事実状態は三〇年の長きにわたって続いている。
(5) 本件土地は、原告の大学本部と至近距離にあり、原告は被告会社が本件土地の賃借人として本件土地を使用していることを当然に知っていたか、又は十分これを知りうる状況にあった。
2 更新拒絶権放棄の特約
原告は、請求原因2記載の調停の際、本件賃貸借契約の期間満了に伴う更新拒絶権を放棄し、訴外和佐雄(同一体としての被告会社)との間で、本件賃貸借契約の期間満了の際には、引続き本件賃貸借契約を更新する旨の特約をした。
3 被告会社に対する更新拒絶の正当事由に対する主張
(一) 原告の事情
(1) 原告は、東京都千代田区神田駿河台、東京都杉並区永福及び神奈川県川崎市多摩区東三田等に、学校施設としての膨大な土地建物を所有しており、これらの土地建物を有効に活用することによってその必要性を十分に満たすことができる。
(2) また、原告は本件賃貸借期間満了当時、法学部棟に近接した千代田区駿河台一丁目一番一、三の土地上に「明治大学駿河台研究棟、記念図書館」と仮称して、鉄骨鉄筋コンクリート造地下三階・地上一二階、塔屋二階、延床面積一万六〇一〇・三九平方メートルの建物を建築中であり、更に、同所三番の一に、約一六〇九平方メートルの空地を所有し、ここに延面積一万〇〇一九平方メートルの建物を建築する計画を有している。
原告が主張する校舎或いは法学部の教室、研究室及び資料室の不足ないしその必要性は、右建物を利用するか、または右建物の利用によって生じる既存建物の空室を利用することにより十分に充足されるものである。
(3) したがって、原告にとって本件土地は、その返還を受けるに越したことはないが、どうしても必要であるという土地ではない。
(二) 被告会社の事情
(1) (被告会社の土地建物使用状況)
(a) 被告会社は印刷機械の総合会社として、①各種印刷機の製造、輸入、販売、②印刷工場内の設備一式、印刷材料全般の販売、③印刷用の各種活字の製造、販売、④プリント配線基版の設計、原図及びその写真フィルムの製造及び販売並びにこれに関連する諸業務、⑤キーボード、ワードプロセッサー等の入力機によるコンピューターへのデータ入力の受託業務及びこれに関連する諸業務、⑥一般コンクリート型枠の製造販売及びこれに関連する諸業務等の営業を行っている。
(b) そして右営業を機能的に行うため、同一資本の関連会社として、訴外株式会社千代田製作所、訴外千代田エレクトロニクス株式会社、訴外コンピュタイプ株式会社と共に業務を分担し、相互に密接な関係を有しており、右関連会社を含めた従業員数は約三〇〇名であり、年間の売上高は約九五億円に及んでいる。
(c) 被告会社は、その所有し又は賃借する土地、建物を次のように利用している。
① 本件土地の上には、鉄筋コンクリート造四階建の堅固建物を主体とする本件建物を所有し、本件建物は、一階を活字製造の工場、事務室、二階を文選場、倉庫、休憩室、三階を倉庫、会議室、四階を物置として各使用している。
② 請求原因8(二)(2)(a)の土地上には、同(b)、(c)及び軽量鉄骨コンクリート造平屋建工場(床面積七三・四四平方メートル)の各建物を所有し、右各建物は被告会社及び前記の関連会社の事務所、営業所、工場、倉庫等として使用している。
同(3)の土地は、その一部を、同(2)(c)の建物及び右軽量鉄骨コンクリート造平屋建工場の敷地とし、一部を被告会社の自家用駐車場として使用し、残余の約七八〇平方メートルを貸駐車場として利用しているが、この部分については後記(2)(c)記載のような利用計画を有しているから、右土地の存在は本件土地の必要性を左右するものではない。
同(5)のうち、昭島の土地及び建物は訴外千代田印刷株式会社の工場及び事務所として、佐賀県小城郡牛津町の土地及び建物は、被告会社及び関連会社の工場、事務所として使用している。
(2) 被告会社の本件土地の必要性
(a) 被告会社は、本件建物を、昭和一年一一月以来、昭和四〇年七月に現在の本社ビルを建築するに至るまで、二〇年余の長きにわたって、本社、営業所、事務所、工場として使用し、被告会社の主要な業務である印刷機及び印刷材料の製造販売を行って来た。このため、取引先その他多数の関係者が本件建物に出入りしていた。現在の本社ビルに、本社、営業所、事務所が移った後も、本件建物は、その一部が役員室として、その余の部分は被告会社の主要な業務の一つである活字製造及び文選の各工場並びに事務所、営業所、倉庫等として使用しているため、引続き取引先その他の関係者が多数出入りしている。
(b) 本件建物の主要部分である鉄筋コンクリート造四階建の建物は、最上階の屋根が丸屋根で、三階の屋上がテラスになっている等洋館風の珍しい建物であって、戦後焼野原の中に焼残っていたことも重なり、被告会社のシンボル的存在であり、被告会社の信用を支えてきたものである。そして、被告会社の仕入れ取引の殆んどは信用による取引であるところ、被告会社の信用は、取引先その他の関係者の記憶に強く残り、被告会社のシンボル的存在である本件建物を所有し、本件土地を占有していることが大きく与っているところである。
したがって、万一原告に対し本件土地を返還しなければならないような事態に立ち至るならば、被告会社の信用は相当程度失われることになり、被告会社の存続にも影響を与えかねず、そうでなくても、売上の減少等被告会社の営業に多大なマイナスの影響を与えることは避けられないところである。
(c) 被告会社所有の本社ビルは極めて狭隘であり、被告会社の効率的稼働及び作業、更には営業の拡張に支障を来たしている。このため被告会社は、請求原因8(二)(3)記載の土地を全面的に利用したビルを建築し、エレクトロニクス及びコンピューター関係の工場及びこれに関連した業務並びに商事会社的機能の充実を図って行く計画を有し、数年前から右計画の実現のためにビルの規模、資金繰り等種々検討を重ねており、近い将来にこれを実現する予定である。
(d) 右土地は商業地域であるため、建築基準法四八条五項(別表第二ほ項、三、一五)により、活字の製造をする建築物を建築することができず、したがってこの上に建てる建物には本件建物の活字工場を移転することができない。一方被告会社は、立川に工場を有しているが、ここは都内から離れているため、ここで活字の製造販売をしても、都内にある約六〇〇軒の得意先の急を要する活字の購入には役に立たないのである。
(e) 以上の次第で、本件土地は被告会社がその営業を継続発展せしむるため是非とも必要とするものである。
(三) 建物の価値
本件建物の主要部分は、鉄筋コンクリート造四階建の堅固な建物であり、その余の部分は木造の普通建物であるが、昭和二九年から昭和四八年の間に四回にわたって増築したものであり、いずれも今後相当に長期間使用が可能な建物であるから、これを取り壊して収去することは、社会経済的にも損失が大きく、許されるべきではない。
(四) 以上に述べたとおり、本件土地の必要性は、原告にとっては、これがあればより便利であり、あるに越したことはないといった程度のものであり、これがなくとも原告の存続には何ら影響がないもので、その必要性は極めて微々たるものであるに比し、被告会社にとっては、本件土地の存否は被告会社の存続をも左右するものであって、絶対的であり、被告会社の本件土地の必要性は原告の必要性と比較し得ないほど大きいものである。
4 信義則違反又は権利濫用
原告が更新拒絶をしこれを理由に被告会社に対し本件土地の明渡しを求めることは、以下の事情からして、信義誠実の原則に反するか、又は権利の濫用であって許されない。
(一) 原告が、昭和二六年四月、訴外三輪から本件土地を含む六八五・一九坪を買い受けた当時、その一部については被告会社が次のよう賃借権を有し、(1)の土地上には本件建物の主要部である鉄筋コンクリート造陸屋根の堅固建物を所有し、これを被告会社の工場、事務所として使用し、(2)の土地は(1)の土地と一体として、被告会社の工員のための運動場や被告会社の営業のために使用していた。
(1) うち一〇〇坪について
使用目的 鉄筋コンクリート建物敷地
期間 三〇年(残期間二三年余り)
特約 賃貸借の期間は更新の方法により延長できる。
(2) うち一五〇坪について
使用目的 工員の朝礼所
期間 一〇年(残期間三年余り)
特約 賃貸借の期間は更新の方法により延長できる。
(二) 原告の調停申立ての際にも、原告は右(一)(1)の土地については明渡請求をせず、却って調停条項により本件賃貸借を締結した。右事実は、原告が右土地を使用する目的がなく、右土地部分は無償か、最大限低地権価格で買い受けたものと解される。したがって、原告は右土地部分についてほとんど財産的価値を認めていなかったのである。
(三) 通常、更新拒絶による土地返還は、更地の土地を賃貸した賃貸人に対し、その必要性により原状に復して土地の利用権を回復させるためのものであるところ、原告は被告会社が堅固建物所有を目的として賃借占有している土地を後から買い受けたものであり、原告は本件土地を更地で所有した事実はないのであるから、原告が本件土地明渡を求めることができるとしたら、原告は以前に有した権利の回復ではなく、そもそも自ら有していなかった権利ないし利益を取得することになり、原告に不当な利益をもたらすことになり、他方、被告会社は賃貸借当初予想し得ない事情で、しかも賃借人とかかわりのない底地の売買という事情によりその賃借権を失うことになり、不当な損害を被ることになる。
(四) 本件土地の借地権価格は三三億七〇〇〇万円に相当するから、本件土地の返還により原告が受ける利益及び被告会社が被る損害は右のように巨額なものとなる。
四 被告らの主張に対する答弁
1(一) 被告らの主張1(一)は否認する。
(二) 同(二)の冒頭の主張は否認する。
(1)のうち、本件土地に隣接して原告の大学校舎があることは認めるが、その余は否認する。
(2)及び(3)は争う。
(三) 同(三)の冒頭の主張は争う。
(1)のうち、和佐雄が代表取締役であったこと及び被告健一郎が代表取締役であることは認めるが、その余は争う。
(2)は不知。
(3)のうち、被告会社の支払は否認、その余は争う。
(4)は不知。
(5)は争う。
2 同2は否認する。
3(一) 同3(一)(1)のうち、被告主張の学校施設を有していることは認めるが、その余は争う。
同(2)及び(3)は争う。本件賃貸借期間満了当時、原告が仮称明治大学駿河台研究棟記念図書館を建築中であることは認めるが、本件土地の必要性に変わりはない。
(二) 同(二)(1)のうち、(a)及び(b)は不知。(c)のうち、請求原因8(二)(3)の土地を貸駐車場として使用していることを認め、その余は不知。
同(2)のうち、(a)は不知。(b)ないし(e)は争う。
(三) 同(三)のうち、増築したことを認め、その余は争う。
(四) 同(四)は争う。
4 同4は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1(原告の土地所有)及び同2(賃貸借の成立)は、当事者間に争いがない。
二 請求原因3及び4について判断する。
原告らは、被告古賀タマら五名が本件土地賃借権を被告会社に譲渡ないし転貸したことを理由として、本件賃貸借を解除した旨主張するのに対し、被告らは、原告から本件土地を賃借したのは当初から被告会社であったから賃借権譲渡ないし転貸の事実はない、仮にそうでないとしても、右譲渡ないし転貸につき、原告の承諾がある、或いは背信性がない等の理由により、右解除の意思表示は無効である旨を主張するので、以下この点について判断する。
訴外和佐雄が昭和五四年八月五日に死亡したこと、被告古賀タマが同人の妻であり、被告健一郎、同柿澤みつる、同田中たみ子、同小野誠子が同人の子であること、及び原告が被告古賀タマら五名に対し昭和五七年一月二七日ないし同年二月二日に右賃借権譲渡を原因として本件賃貸借を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
1 訴外和佐雄生前時の事実関係
右争いのない事実のほか、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 訴外三輪との賃貸借に至る経緯
訴外和佐雄は、大正一一年八月一四日、印刷材料の製作販売等の事業を目的として、被告会社の前身である千代田印刷機材料製造株式会社(昭和一八年一〇月一八日千代田兵機株式会社に、昭和二〇年一二月二〇日現在の名称に商号が変更された。以下、当時の商号のいかんにかかわらず統一して「被告会社」という。)を設立し、同社の代表取締役に就任した。その設立資金は訴外和佐雄がそれまで貯蓄した金を拠出し、足りない部分は親戚の訴外岸川馬吉から借り受けた。設立に当たっては登記簿上は右岸川馬吉を始めとする訴外和佐雄の親戚や友人が役員として就任したとされていたが、いずれも名義を借りただけで、実際の経営は訴外和佐雄の一存で行われるなど同人の個人商店的なものであり、株式会社組織としたのは、主として取引先の信用を得るための便宜に出たものであった。
被告会社は設立当初東京市神田区蝋燭町一五番地に本店を置き、同区錦町に工場を所有して印刷材料の製作販売等を業務としていたが、その後同区鎌倉町等に本店を移転し、昭和一五年六月一八日には東京都千代田区猿楽町(当時は神田区猿楽町)一丁目五番二の宅地一〇九四・三四平方メートルを、また、昭和一九年七月一八日には同町一丁目五番地の宅地三六三・六三平方メートルを購入して、工場及び営業所を移転した。右の各土地は、いずれも訴外和佐雄個人の名義により売買を原因とする所有権移転登記がされているが、これらの購入資金は被告会社の経理から支出され、実際にも被告会社により使用されていたものである。
一方、右両土地と道路を隔てた向かい側には本件土地を含む同町一丁目四番地一の土地があり、その一角に本件建物が存在し、訴外三輪がこれを所有していた。
訴外和佐雄は工場を更に広げたいとの考えを有していたところ、昭和一九年、同町の町会長の遠山景光の紹介で両者の間に本件建物の売買及びその敷地の賃貸の交渉がされるようになり、同年一二月二三日には、同月一八日付で訴外三輪が訴外和佐雄に対し本件建物を売り渡すこと、及び、同町一丁目四番一の土地のうち西側道路に面する部分二五〇坪を、北西角の一〇〇坪(間口約一〇間、奥行約一〇間)は本件建物の敷地とする目的で、その余の土地一五〇坪は工員の朝礼(軍事教練)所として使用する目的で、それぞれ賃貸することを合意した旨の公正証言(各一通)が作成されるに至った。
(二) 訴外三輪との賃貸借期間中の事実関係
本件建物は、引渡当時の現状のままで三階を会議室として、その他の部屋を製品の検査室や青写真のトレース、軍の査察に訪れた関係者との打合せ等の目的のため被告会社が利用していて、訴外和佐雄の個人目的のために使用したことはなかった。また、被告会社から訴外和佐雄に対して本件建物の家賃が支払われることもなかった。
その後昭和二〇年には、被告会社が従来使用していた工場が戦災で焼失したため、本件建物に被告会社の看板を掲げ、その活動の本拠とするようになった。
昭和二一年一二月二〇日には、被告会社の本店が本件土地及び本件建物の所在地に移転され、翌二二年一月一一日その旨登記された。
(三) 原告の本件土地買受と本件調停の申立
原告は、昭和二六年四月一日、訴外三輪から、本件土地を含む東京都千代田区猿楽町(当時は神田猿楽町)一丁目四番一宅地二二六五・〇九平方メートル(六八五・一九坪)を、他に賃貸中の地上家屋と共に代金七五〇万円で買い受けて本件土地の所有者となり、同年七月ころ、訴外和佐雄を相手方として、前記(一)の一五〇坪の土地を明け渡すことを求めて東京簡易裁判所に調停の申立をした。
右調停が申し立てられた当時、前記(一)の二五〇坪の土地はその全部を被告会社が事務所、工場、倉庫等に使用しており、本件建物には被告会社の看板が掲げられていた。
(四) 本件調停後の事実関係
昭和二七年一二月一三日に請求原因2記載のような内容の調停が成立したが、右調停の後も本件土地及び建物の使用形態には特に変化はなかった。
賃料は被告会社の経理から支出され、その支払は昭和五二年ころまでは被告会社の社員により被告会社の小切手又は現金を原告方に持参する方法によって、その後は被告会社を振込人とする銀行振込の方法によって行われていた。そして、このような支払形態について、後述するように昭和四六年ころまでは原告から異議や苦情が出されるようなことはなく、昭和四五年ころには、原告の賃料の領収証が被告会社宛で発行され、賃料請求や賃料値上げの申入も被告会社に対して行われているようになった。
また、昭和四二年八月三〇日には、被告会社と訴外和佐雄との間で、本件建物等の不動産は現在和佐雄名義であるが、和佐雄名義に登記申請をなした理由は、当時同不動産取得の際被告会社の名義にて登記をなすべき処、誤って訴外和佐雄の名義に登記したものである、しかるに、現実に同不動産の買受代金を支払って之が所有権を取得した真実の所有者は被告会社であることを被告会社、和佐雄共に確認し合った旨及び被告会社は同不動産に関する公租公課その他一切の経費及び手続費用等を負担する旨等を内容とする公正証書が作成された。
一方、昭和四五年ころ、本件土地上に新しい建物の建築が進められていたことから、原告の内部で本件土地の使用形態、賃料領収証の宛先等が問題視されるようになり、原告側からの苦情を受けた被告会社は、同年一〇月ころ、原告に対し、本件土地上に倉庫事務所を新築したい旨を申し出たが、昭和四六年二月二日ころには原告の理事長名義で、訴外和佐雄に対し、右建物等本件賃貸借開始時以降に建築された建物について原告としては調停条項に違反するものと考えるので撤去してほしい旨、及び本件土地は訴外和佐雄個人に賃貸したもので被告会社との間に賃貸借関係はない旨等を内容とする通知書が送付されるに至った。
右紛争は、原告が、同年一一月九日、訴外和佐雄に対し、本件賃貸借の期間が昭和五七年一二月一三日までであることを考慮し、即時の解除及び明渡請求は控えることとするが、違反行為を承諾したものではない旨を通告したことで一応収まったが、その後しばらくの間は原告の賃料請求や値上げの申入は訴外和佐雄個人に対して行われ、賃料の領収証も訴外和佐雄宛として発行されていた。
しかし、原告内部の事務連絡の不徹底のため、賃料の領収証については昭和四八年一一月ころからは再び被告会社宛となり、昭和五四年三月の賃料値上げの申入も、被告会社に対して行われた。
なお、訴外和佐雄は昭和四七年まで被告会社の代表取締役社長の地位にあり、同年長男である被告健一郎に右地位を引き継いだが、死亡するまで代表取締役会長であった。その他の役員は、主に被告会社に長く勤め部長職や支店長職にあった社員から選任され、これらの役員については被告会社退社の際に辞任してもらう慣行となっていた。また、本件賃貸借開始後、被告会社では何度か増資が行われたが、その際の払込は全額訴外和佐雄によって賄われ、同人は死亡するまで被告会社の全株式を所有していた。なお訴外和佐雄の死亡後、遺産分割協議で全株を被告健一郎が相続した。
2 以上に認定した事実関係を前提として、原告による解除の意思表示の効力につき判断する。
(一) 本件賃貸借当初における賃借人について
右に認定したとおり、本件土地及び建物は当初から被告会社が利用して、売買代金や賃料等も現実には被告会社が出捐していたものである。
しかしながら、賃貸借契約の当事者は、あくまでも誰が賃借の意思表示をしたかによって判断されるものであり、実際の利用者や賃料負担者であるというだけで直ちに賃貸借契約の当事者として右意思表示をした者であるということはできない。そして、《証拠省略》によると、訴外和佐雄は、個人として本件調停に臨み、原告との間で、本件賃貸借を成立させたことが認められる。これらの合意以外に原告又は訴外三輪と被告会社との間に本件土地を賃貸する旨の合意があったことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると、本件土地は訴外和佐雄が被告会社の使用収益に供するために賃借したものではあるが、被告会社の代表者としてではなく訴外和佐雄個人として賃借したものと認めるのが相当であって、被告らの主張するように本件賃貸借の当初から被告会社が賃借人であったとみることはできない。
(二) 賃借権譲渡について
訴外和佐雄が昭和五四年八月五日に死亡したこと及びその相続人が被告古賀タマら五名であることは、前記のように当事者間に争いがない。
そうすると、仮に訴外和佐雄の生存中に訴外和佐雄が被告会社に対し本件賃借権を譲渡していなかったとすると、右相続により本件土地の賃借人の地位は被告古賀タマら五名に引継がれたものと認められる。
そこで、訴外和佐雄が死亡し、被告古賀タマら五名が訴外和佐雄を相続した後の事実関係についてみると、《証拠省略》によると、昭和五五年二月に被告古賀タマら五名によって遺産分割協議が行われたが、本件土地の賃借権及び本件建物の所有権の帰属については分割の対象として話し合われることはなく、右協議の結果作成された遺産分割協議書にも右権利については何らの定めがないこと、本件建物につき、昭和五五年二月二一日受付で、真正なる登記名義の回復を原因として、被告会社に所有権移転登記が経由されていること、被告古賀タマら五名は、その前後を通じ、本件土地の使用収益に全く関与していないばかりか、賃料等の賃貸借に伴う債務については全く負担する意思がなく、実際にも負担しておらず、右移転登記の後も被告会社から転貸借賃料に当たるような対価を受け取っていないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右のような被告古賀タマら五名の一連の行動は、これを合理的に解釈すれば、訴外和佐雄の死亡時において法律上は本件賃借権がいまだ被告会社に移転されておらず、自らが相続したものと評価されるとしても、それも被告会社に譲渡する意思で行われたと認めるのが相当である。
そうすると、本件賃借権は、遅くとも登記簿上本件建物の所有権を被告会社名義に移転した時点である昭和五五年二月二一日までには、和佐雄の相続人である被告古賀タマら五名から被告会社に対し譲渡されたものと認めるのが相当である。
(三) 賃借権譲渡を理由とする解除の可否
本件調停の第四項に、賃借人が原告の文書による承諾を得ないで借地権を他人に譲渡したときは、原告は通知催告を要せず本件賃貸借を解除することができる旨の条項が存すること、原告が被告古賀タマら五名に対し賃借権譲渡を原因として本件賃貸借を解除する旨の意思表示をしたことは、前記のとおり当事者間に争いがない。
賃貸人の承諾を得ない賃借権の譲渡が原則として当該賃貸借関係の信頼関係を破壊するものとして解除原因となることは民法六一二条の規定から明らかであるところ、右調停条項は、賃貸人の承諾につきその重要性にかんがみ書面によって慎重に行うべきことを定めたにすぎないものと解される。そうすると、右条項違反を理由とする解除についても、当該譲渡につき賃貸人に対する背信行為と認めるに足らない特段の事情が存する場合には当該賃貸借を解除することはできないと解するのが相当である(最高裁昭和三九年六月三〇日判決、民集一八巻五号九九一頁等参照)。
そして、右二1及び2(二)においてみたとおり、本件の賃借権譲渡に関しては、その前後を通じ、賃借物の使用目的や利用形態、賃料の実質的負担者はいずれも変化がなかったこと(したがって、これらの点で賃貸人に対し譲渡により予期せぬ損害を及ぼす可能性はほとんど考えられない。)、このような事実関係は本件賃貸借の成立当初から三〇年にわたってほぼ同様であって、その間に原告の発行した賃料の請求書や受取証等の名宛人が被告会社として表示されていることもあったこと、被告会社は実質的には訴外和佐雄の個人商店的会社として設立され、その後も株式のすべてを、訴外和佐雄の生前は同人が、その死後は長男である被告古賀健一郎が所持し、経営の実権も右両名により完全に掌握されてきた個人会社的な性格が濃厚な会社であること、等の事情が認められる。しかも、被告健一郎本人尋問の結果によると、被告古賀タマら五名は右賃借権譲渡ないし本件建物の所有権移転登記手続等に関し、何らの利益を得ているわけではないことが認められるのである。
以上の事実関係にかんがみれば、本件における賃借権の譲渡には、信頼関係を破壊すると認めるに足らない特段の事情が認められるというべきであり、したがって、右譲渡を理由として本件賃貸借を解除した旨の原告の主張は理由がない。
三 原告の被告古賀タマら五名に対する請求の結論
以上のとおり、本件賃借権は被告古賀タマら五名から被告会社に対し昭和五五年二月二一日までに譲渡されたものの、右譲渡には背信行為と認めるに足らない特段の事情が認められるため、賃貸人がこれを理由に当該賃貸借を解除することはできないというべきである。そして、このような場合には、賃貸人と譲渡人との間に存した賃貸借関係は賃貸人と譲受人との間に移行して譲受人のみが賃借人となり、譲渡人たる前賃借人は右賃貸借関係から離脱し、特段の意思表示がない限り、もはや賃貸人に対して賃借人としての債務を負うこともないと解するのが相当である(最高裁昭和四五年一二月一一日判決、民集二四巻一三号二〇一五頁参照)。
したがって、原告の被告古賀タマら五名に対する賃貸借契約終了に基づく原状回復請求としての土地明渡請求及びその履行遅滞に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
四 本件賃貸借の存続期間の満了と原告の異議
次に、原告の被告会社に対する明渡請求の可否について判断する。
請求原因7(被告会社の本件建物所有及び本件土地占有)は、当事者間に争いがなく、被告会社が遅くとも昭和五五年二月二一日までには本件土地の適法な賃借人となったと認められることは右三に説示したとおりである。本件賃貸借は昭和五七年一二月一三日をもって期間満了となるところ、原告が右期間満了に先立つ昭和五七年一一月一日の本訴訟の第四回口頭弁論期日において、右期間満了後に被告会社が本件土地の使用を継続することについて、あらかじめ借地法四条一項ないし六条一項所定の異議を述べ、その後も引続きこれを維持していることは、本件記録上明らかである。
1 更新特約ないし更新拒絶権の放棄について
被告らは、本件賃貸借には更新の特約があった、或いは原告は更新拒絶権を放棄したものであると主張し、その根拠として本件賃貸借中の「借地法の規定に従い更新するものとする」との条項の存在及び右条項が定められるに至った経緯等の事情を挙げている。
そして、《証拠省略》によると本件賃貸借中に右条項が存在することが認められるほか、《証拠省略》によると、右条項は当初の原告側の案であった「賃貸借契約が終了したときは相手方は直ちに地上建物その他工作物を収去し土地を原状に回復して申立人に明渡さなければならない」という条項に対し、訴外和佐雄としては本件土地を永久的に借用したいとの希望を有していたため、期間満了時に本件土地を返還することに難色を示し、右条項に代わるものとして挿入されたものであることが認められる。
しかしながら、右条項を挿入した際に、原告と訴外和佐雄との間に賃貸借期間満了の際には必ず更新することとする旨の合意があったとの被告らの主張については、これをにわかに認めることはできない。すなわち、《証拠省略》中には右主張に沿うかのような供述部分が存するが、右証言中にも、更新するとはっきりも言えないので借地法の規定に従いというくらいのところで妥協する形で右条項となったとの供述部分が存するのであるから、原告が訴外和佐雄の右希望を了承したと認めることは困難である。のみならず、借地法の更新に関する規定は、賃貸人と賃借人との利害関係の妥当な調節を図る観点から正当事由の存否によって更新拒絶の可否を定めているのであるから、仮に更新拒絶権を放棄するとすれば同法の更新に関する規定に従うといってもほとんど意味を持たないことになってしまうのであって、かかる解釈が妥当なものであるとは到底考えられない。右条項の解釈に関し被告らが挙げるその他の根拠は、いずれも独自の見解というべきものであって採用することはできない。
したがって、被告らの右主張は理由がない。
2 信義則違反ないし権利濫用の主張について
被告らは、原告の更新拒絶(被告会社の更新請求ないし使用継続に対する異議)は信義誠実の原則に違反し、或いは権利の濫用であるとして、被告らの主張4記載のような事実関係の存在を主張する。しかし、そもそも賃借人の使用継続に対する異議は借地法所定の正当事由がなければその効力を有せず、右正当事由の存否によってその適否が判断されるものであり、被告らは右正当事由の存否についても争っているのであるから、信義則違反ないし権利濫用であるとして主張される事実関係についても右正当事由がないことの根拠として考慮すれば足りるのではないかとの疑問があるうえ、被告らが右主張の前提とする訴外三輪からの賃借人が被告会社であったとの事実を認めることができないことは前記二2(一)において認定したとおりであるから、右主張は採用することはできない。
3 正当事由の存否
そこで、被告会社の本件土地使用継続に対する原告の異議につき借地法所定の正当事由が認められるか否かについて、以下に検討する。
借地法所定の正当事由の存否を判断するにあたっては、土地所有者側及び借地人側の土地使用の必要性等双方の事情を比較考量して考察すべきことは当然であるが、さらに、右借地権が設定されるに至った経緯、右借地関係存続期間中の両者間の信頼関係にかかわる諸事情等の諸般の事情も考慮すべきものと解される。また、右の正当事由の存否は、借地期間満了の時(ないし土地所有者が異議を述べた時)を基準時として、それまでの事実関係を主たる要素として判断するのを原則とすべきであるが、その後に生じた事実も右基準時における正当事由の存否の懲憑たり得る場合には、これを補完的に考慮するのが相当である。
そこで、右の観点から以下本件における正当事由の存否を判断する。
(一) 本件賃貸借の成立に至る経緯及び本件賃貸借期間中の事実関係の大要は二1及び2(二)において認定説示したとおりである。
なお、原告は被告らの背信行為として、無断増改築禁止特約の違反行為の存在を主張するが、右はその主張する時期からしても被告会社に対する更新拒絶の正当事由となり得るものかについて疑問があるうえ、右特約の根拠として主張する本件賃貸借の内容を定めた調停条項一の「現状のまま」との文言は、原告の賃貸形態を規定するものであって、賃借人の賃借形態を制限するものでないことはその条項自体から明らかというべきであるから、右文言を増改築禁止特約を定めたものとみることはできない。
(二) 原告の本件土地の必要性
そこで次に、原告の自己使用の必要性についてみるに、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 原告は、大学に七学部及び短期大学を設置し、その他付属高校等を経営する学校法人であり、その大学は、本件土地の近隣である東京都千代田区神田駿河台近辺(二万五二一〇平方メートル、以下「駿河台地区」という。)のほか、東京都杉並区永福近辺(六万九六六三平方メートル、以下「和泉地区」という。)、神奈川県川崎市多摩区三田近辺(一六万八四二三平方メートル、以下「生田地区」という。)にそれぞれ校舎とその敷地を有し、昭和五九年度における学生総数は三万二千名余を数える日本有数の規模を有する私立大学である。
(2) 駿河台地区には、原告大学の大学本部が設置され、法学部、商学部、政治経済学部、文学部、経営学部の専門過程と右各学部(経営学部を除く)の夜間部及び短期大学部の授業が行われている。
これらの各学部ないし短期大学部の学則上の定員は昭和五九年度において八二〇〇名であるが、右定員に比して校舎面積が極めて不足している現状である。
すなわち、大学設置基準(昭和三一年文部省令第二八号)上、学生定員を基準として大学が有しなければならない校舎の面積及び校地の面積(原則として右校舎面積の六倍)が定められており、また校舎敷地と運動場が分かれている場合には校舎敷地に基準面積の二分の一以上がなければならないとされているが、原告の大学の現状は、殊に駿河台地区においては右校舎敷地面積は右基準上要求される七万二八四五平方メートルに対し、現実には二万五二一〇平方メートルにすぎず、極めて不足しており、和泉地区、生田地区の校地面積を総計して、ようやく右基準の要求を満たしているにすぎない。
(3) 原告大学の駿河台地区の教育設備及び教育環境は、良好なものであるとはいい難く、原告内部においてもしばしば問題が指摘されている。
殊に、原告大学の法学部は本件建物に隣接する原告大学の第一〇号館に事務室を置き、講義、演習の多くを行っているが、学生数に比して教室数が極めて不足しているために、同館内では講義については二一九あるうちの一四九だけ、演習については一三八あるうちの六〇だけを行うことができるにすぎず、そのため同学部の学生は公道を通って離れた他の建物に通うことを余儀なくされている。また、このような教室不足という現状のため、新しい演習や講義科目の開設も思うにまかせられない状況にある。法学部の資料室や自習室は学生数に比して極めて貧弱なものにすぎず、また、サークル活動のための教室の申込に対しても、教室数の不足のために十分に対処できず、平日の昼休みや、日曜日にまで教室を使用させたり、廊下を使用して活動せざるを得ないサークルもある状況である。
また、原告は情報処理関係教育や視聴覚教育設備の整備が他大学に比し遅れており、学内でも強い要望が出ているが、駿河台地区においてはこのような校舎不足のため要請に十分応えることが困難な状況にある。
(4) 一方、わが国の大学及び短大の志願者数は戦後著しく増加し、昭和三〇年時には約七〇万人であったところ昭和五七年時においては約三一〇万人となっている。原告の大学及び短大においても志願者数は昭和三〇年時の三万一一九九人に対し、昭和五七年時には九万二四八七人と三倍近くなっている。
これに対し、原告の大学及び短大を合わせた入学者の定員は昭和三〇年時において三八七〇人であったのが昭和五七年時においては五八五〇人、入学者の実数は、昭和三〇年時において七九三七人であったのが昭和五七年時においては八五七一人であって、志願者数の増加に比してその増加はわずかなものにとどまっている。
原告としては、右志願者数の上昇及び教育上の適正規模という観点から、また経営状態を安定化させるため、入学者の実数を増加させたい希望を従来から有しているが、定員を大きく超えて入学者を採った場合には文部省から私立学校振興助成法に基づき支給される補助金の額が削減されてしまうため、しばしば文部省に対し定員増加のために収容定員関係の学則の変更の認可を申請している。しかるに、本件賃貸借期間満了に先立つ昭和五七年六月、原告が、大学法学部法律学科(一部)の入学定員を現行の六〇〇人から八〇〇人に、大学商学部商学科(一部)の定員を現行の五〇〇人から六五〇人にそれぞれ増加させる等の学則変更の認可申請をしたところ、そのうち一部については認可されず、このときの不認可の理由の一つとして、大学設置基準に照らして原告の大学に中心校地が不足しているとの点が指摘された。
したがって、原告にとって本件土地の返還を受けることは、その土地上に校舎を建設して教育設備の充実を図ることのほか、右定員増加申請との関係でも駿河台地区の校地面積を増加させるという効果をもたらすので、このことも原告の本件土地の明渡請求の大きな動機の一つとなっている。
(5) 原告は、右のような駿河台地区の校舎不足のため、昭和五六年一月九日訴外株式会社クロサワ洋装店から、期間二年、敷金五四〇〇万円、賃料一箇月一六二万円の約束で同社所有のビルの一部(五九五・〇二平方メートル)を賃借している。また、昭和五三年一一月一六日訴外東酒類株式会社から、いずれも期間三年、保証金一一四七万五〇〇〇円、賃料一箇月四一万三一〇〇円の約束で同社所有ビルの一部を二箇所(各一五二・〇四平方メートル)賃借し、昭和五五年三月三日訴外金岡伸治から、期間二年、保証金四〇〇万円、賃料一箇月一七万円の約束で同人所有のビルの一部(六六平方メートル)を賃借していたが、これらは本件賃貸借期間満了当時まで契約が更新されていることがうかがわれる。
このような賃貸借のため、原告は保証金ないし敷金として八〇〇〇万円余を固定させ、賃料として一か月二六〇万円余を支払っている。
(6) 原告の内部では、本件土地の返還を受け、その上に大学の第一三号館(仮称)を建設し、法学部のゼミナール室、資料室、一般教室、情報処理関係のセンター、視聴覚教室等を設置したいという要望が強くなっており、既に右要望に沿った第一三号館の建設計画案及び図面が作成されている。
(7) なお、本件賃貸借期間満了のころ、原告は大学一〇号館に隣接した東京都千代田区駿河台一丁目一番一、三の土地上に「明治大学駿河台研究棟記念図書館」と仮称して、鉄骨鉄筋コンクリート造地下三階、地上一二階、塔屋二階延床面積一万六〇一〇・三九平方メートルの建物を建築中であった(右事実は当事者間に争いがない。)が、昭和五九年六月ころまでには完成した。右建物は現在、地下三階から地上三階までは図書館関係に、地上四階は会議室関係に、五階から一二階までは教員の研究個室に、それぞれ利用されている。
(三) 被告会社の本件土地の必要性
他方、被告会社が本件土地を継続使用する必要性についてみるに、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 被告会社は、現在では子会社ないし関連会社である訴外株式会社千代田製作所(高層建築のプレハブ工法のコンクリートを流す型枠等を製造。被告健一郎が一〇〇パーセント出資し、代表取締役は被告健一郎。)、訴外千代田エレクトロニクス株式会社(プリント基版のパターン設計からフィルムを製造。被告会社が一〇〇パーセント出資し、代表取締役は被告健一郎。)、訴外コンピュタイプ株式会社(コンピューターによる文字の出力センター業務を行う。被告会社が六〇パーセント出資し、代表取締役は被告健一郎。)、訴外千代田製本機械株式会社(製本業界に対する販売を行っている。被告会社が六〇パーセント出資し、代表取締役は被告健一郎。)、訴外日本アール・ピー株式会社(イギリスの特殊な小型印刷機の輸入販売会社。被告会社が九〇パーセント出資。)と相互に業務の分担等を行い、密接な関連を有しながらその業務を行っているものであるが、本件賃貸借期間満了ころの従業員数は約一五〇名(関連会社の総計では約三〇〇名)、一年の総売上高は約九〇億円(関連会社の総計では約一〇〇億円)である。
(2) 本件土地建物の使用状況及び老朽度
本件建物には、昭和四四年五月まで被告会社の本社が置かれていたが、その後本社ビルの完成により、被告会社の活動の本拠は右ビルに移され、本件建物は現在、一階が活字製造の工場、事務室に、二階が工場、倉庫、休憩室に、三階が倉庫、会議室に、四階が倉庫等にそれぞれ利用されており、主たる利用方法は印刷用の活字の製造、販売及び貯蔵にある。
なお、本件建物の主要部分は、第二次世界大戦前に建てられたものであるが、訴外三輪が関東大震災のような大地震にも倒壊しないよう特に耐震性を重視して堅固に建築させたものであり、またその余の木造部分は昭和二九年ころから昭和四八年ころまでにかけて増築されたもので、特段老朽化しているような部分も認められず、今後かなりの期間の利用が可能な建物である。
(3) その他の所有不動産の使用状況
被告会社は、本件賃貸借期間満了時点において、本件土地から道路を隔てた向かい側に、請求原因8(二)(2)(a)及び(3)の土地(合計面積一四五七・九七平方メートル。以下、右両地を併せて「本件隣接所有地」という。)と同(2)(b)及び(c)の建物を所有している(右事実は当事者間に争いがない。)が、それらの本件賃貸借期間満了当時における利用状況は以下のとおりである。
本社ビル(右(b)の建物)は、被告会社が一階及び三階の一部を、訴外千代田エレクトロニクス株式会社が二階ないし四階の各一部を、訴外コンピュタイプ株式会社が四階の一部を、それぞれ使用している。また、本件隣接所有地は、右本社ビルのほか、被告会社の所有する同(c)の建物及び倉庫一棟の敷地として利用されており、これらの建物も被告会社及び関連会社のために使用されている。
しかし、これら建物の使用によっても、先に述べた被告会社の規模からするとその業務遂行のために十分な場所を確保しているとはいい難い状況で、本社ビルが手狭であるとの不満も社員の中から強く出されており、被告会社で行われる会議の際にも、適当な場所がないためホテル等の外部施設が使われることがある。
一方、本件隣接所有地のうち、右に述べた各建物の敷地部分以外の部分(一〇〇〇平方メートル程度の面積を有する。)は、本件賃貸借期間満了当時において六五台前後の駐車が可能な駐車場となっているが、うち四〇台程度は被告会社の営業車のために利用されており、残り二五台程度は第三者に月極駐車場として貸している。被告会社としては、右のような所有建物の利用可能面積の不足のため、また都内及び都外に散在している関連会社を一つの場所に集めたいとの考えがあるため、近い将来右土地上に、被告会社所有ビルを建築する計画を有しており、昭和五六年ころには仮称「千代田ビル」として被告会社の事務所、営業所、会議室、応接室、倉庫、ショールーム等及び関連会社の事務所等を収める延面積四〇〇〇平方メートル余のビルの計画案まで作成していた。
(4) 被告会社の製造する活字を使用する得意先は東京都内に約六〇〇軒存在する。被告会社の活字の販売形態は、被告会社の担当者が得意先を回って不足している活字の注文を取り、後でそれを配達するルートセールスと呼ばれるものが通常であるが、緊急に必要とする場合、顧客が被告会社まで活字を買いに来ることも少なくない。そして活字の種類は極めて多いので、被告会社でも、活字のストックがなく注文を受けてから数分で鋳造してすぐに販売するということもある。
しかるに、本件土地の近辺は建築基準法上の商業地域に指定されており、そのため現在本件建物内で行っている活字の製造部門は、仮に明渡を余儀なくされた場合には、本件隣接所有地には移転できない。仮に被告会社が右工場を請求原因8(二)(5)の昭島市の所有地にまで移転させるとすると、被告会社の都内の得意先に対し緊急の場合にかなりの不便を生じさせることになる。
(四) 原被告の本件土地の必要性の比較
以上に認定した事実関係を前提として、原被告両者の本件土地の必要性を比較検討する。
原告側の本件土地を必要とする事情は、前記(二)において認定したような原告大学の駿河台地区の校舎及び校地の不足とそれによる教育環境整備、定員増加申請、賃料支出等への影響の現状からみて、切実なものがある(なお、前記(二)(6)においてみた仮称「明治大学駿河台研究棟記念図書館」完成の事実は、本件賃貸借期間満了当時の原告大学の駿河台地区の教室不足、資料室不足等の状態が、右建物完成後は幾分かは緩和されることになったであろうことを推認させる。)。一方、被告会社にとっても、現在の建物使用状況自体が全体として余裕があるとはいい難い状況にあることが認められるうえ、仮に本件土地を返還することとなれば経営や営業に打撃を与えることは否定し難く、特に活字製造については深刻な影響を及ぼすおそれがある。
原告と被告会社は双方とも本件土地を使用する必要性は右のようにそれなりに軽視できないものがあるが、他方、原告にとっては本件土地の返還を受けなければそのために大学としての存続や経営の維持が著しく困難になるとまではいい難く、被告にとっても、本件土地の利用のうち活字製造部門を除く大部分はすぐ近くの自己所有地の駐車場に移転させることが可能であり、活字製造についても被告会社の営業全体に占める割合はそれほど大きいものとは認め難いうえ、得意先の緊急な必要があってしかもその活字が被告会社に貯蔵されていないという特殊な場合以外にはさほど大きな支障が出るというわけではなく、近隣の商業地域でない土地ないし建物を借り受けて活字製造を行うことも不可能ではないから、本件土地を返還したからといって会社として存続できないというほどのものではない。
なお、被告らは、本件建物は被告会社のシンボル的存在であるとして、本件土地を明け渡した場合の被告会社の信用に対する影響を主張し、《証拠省略》中には右主張に沿う供述部分が存するが、被告会社の現在の活動の本拠は本社ビルに置かれていることは前記(三)(2)に判示したとおりであるうえ、検証の結果により認められる本件建物の形状、外観等からみて、被告らの主張する信用を維持するに足る象徴性というのは、多分に主観的、心情的なものにすぎないのではないかとも考えられ、しかも、本件明渡によって被る有形・無形の損失については相応の補償を受けることによって補填することは十分可能であると考えられるから、右供述部分をそのまま信用することはできない。
結局、右の必要性のみについてみればいずれが優位にあるともにわかに断定し難く、また、(一)の本件賃貸借の成立に至る経緯及びその後の経過における諸事情を併せ考慮しても、いまだ正当事由を認めるに足りる事情があるとはいえない。したがって、叙上の事実のみを理由として原告の本件賃貸借更新拒絶ないし更新に対する異議につき正当事由があるものとすることは困難である。しかし、他方、右のように被告会社が本件土地を必要とする事情はその業務遂行上有利であるとの点に止まると解されるから、被告が本件土地を失うことによって被る損害に対し相応の経済的な対価を原告が支払うのであれば、これを原告側の補完的な事情として考慮することができ、その結果原告の必要性が被告のそれを上回るに至るというべきである。
(五) 立退料について
(1) 申出の時期
原告が昭和五九年一〇月二二日の本訴第一五回口頭弁論期日において被告会社に対し三億円又は裁判所の決定する金額の立退料の提供の申出をしたことは、本件記録上明らかである。
これに対し、被告らは、更新拒絶に基づく正当事由を補強するための金銭の提供は契約期間満了後遅滞なく行われなければならないところ、右申出は期間満了後二年近く経過した後にされたものであるから正当事由の補強とはなり得ないと主張する。
しかしながら、本件訴訟の経過をみると、原告は本件賃貸借期間満了に先立つ昭和五七年五月一三日に本件訴状を裁判所に提出し、被告古賀タマら五名が本件土地の賃借権を無断譲渡ないし転貸したとして、被告会社を含む被告らに対し本件土地の明渡請求訴訟を提起し、右期間満了に先立つ同年一一月一日の本訴訟の第四回口頭弁論期日において、被告古賀タマら五名及び被告会社に対し更新拒絶ないし期間満了後の使用継続に対する異議をあらかじめ申し出たことが、本件記録上明らかである。そして、右時点では、立退料の申出はされていないのであるが、これは右のようにこの時点では原告が無断譲渡ないし転貸の主張を主位的に主張し、本件賃貸借関係はあくまでも被告古賀タマら五名との間に存するとの見解を強調していたためであったと解することができるから、仮に本件土地の賃借人の地位が被告会社に移転しているものと認められるとすればこれに加えて立退料の提供を原告が申立てることは右時点においても十分に予想されていたものというべきである。そうだとすれば、前示の立退料の提供は更新拒絶から二年近く経た時点での金員の提供ではあるが、本訴訟の経過に照らし遅滞なくされたものと認められるから、これを正当事由判断の基礎として支障ないものというべきである。
(2) 立退料の算定
立退料の額については、本件土地の明渡によって被告会社が被る損害の経済的評価を参考とし、当該事案に現れたすべての事情を考慮して原告の必要性が被告のそれより大きいものと認められるに至る程度の金額を算定すべきものと解される。そして、右損害の経済的評価に当たり参考とすべき借地権価格については、その基準時は、原則として期間満了時であるが、本件のようにその後になって立退料の申出がされた場合には、右申出時の借地権価格も参照されるべきものと解するのが相当である。
ところで、《証拠省略》によると、本件土地の更地価格は、本件賃貸借期間満了時点において八億八二九八万七〇〇〇円、立退料提供の申出があった昭和五九年一〇月二二日時点において一九億五一八六万六〇〇〇円であったことが認められ、《証拠省略》によると、本件土地の近隣地域内の標準的借地権割合は更地価格の八〇パーセントと判定されることが認められる。
そこで、原告が被告会社に支払うべき立退料の額については、既に認定説示した原被告両者の本件土地の必要性、本件賃貸借の締結当時の事情及びその後の事情のほか、右借地権価格及び学校法人という原告の特殊性その他本件に現れた諸般の事情を考慮して判断すると、原告の申出に係る三億円の立退料では未だ正当事由を具備するものとは認め難いが、八億円の立退料を支払うことににより正当事由を具備するに至るものと認めるのが相当である(なお、右金額は原告が明示した三億円の二倍以上にあたるものであるが、本訴を通じた原告の訴訟態度からその意思を合理的に解釈すると右程度の金額の負担については申立の範囲内であると認められる。)。
六 損害金について
原告の被告会社に対する付帯請求は、債務不履行に基づく損害賠償請求であると解されるところ、本件土地の賃借権は期間満了時に消滅しても、その返還は、立退料八億円の引換支払を明渡条件とするものであり、右は同時履行の関係又はこれに準じた法律関係にあるものと解されるから、原告が右金員を提供して被告に明渡義務を生ぜめしない限り、本件土地の占有は違法なものということはできず、被告が賃借権消滅後右明渡義務が生ずるに至るまでの間の本件土地を使用することによる利益が債務不履行となるものではない。
よって、原告の本件損害金請求は、被告が原告から立退料八億円の提供を受けたときから右土地部分明渡し済みに至るまで当事者間に争いのない一か月一四万〇五八〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める限度において理由がある。
七 結論
以上の次第で、原告の被告古賀タマ、同古賀健一郎、同柿澤みつる、同田中たみ子、同小野誠子に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、被告千代田印刷機製造株式会社に対する請求は、原告から八億円の支払を受けるのと引換えに本件建物を収去し本件土地を明渡し、かつ右金員提供の日の翌日から明渡し済みまで一か月一四万〇五八〇円の割合による賃料相当損害金の支払を命ずる限度において理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 新村正人 裁判官 佐々木茂美 上田哲)
<以下省略>